アンパンマンの作者・やなせたかしさんの人生が、こんなにも波乱に満ちたものだったとは――。
幼い頃に親を亡くし、戦争に従軍し、漫画家としても長く芽が出なかった。そして、ついに出会った「アンパンマン」が彼の人生を大きく変えていきますが、それはなんと54歳(今の私の年齢と同じ)になってからのことでした。
本書『やなせたかし―「アンパンマン」誕生までの物語』は、作者自身が綴った自伝的エッセイです。
小さなお子さんや被災地に勇気を与えてきたアンパンマン。その裏には、これほどまでに深い“生き方”の物語があったのか――私は静かな衝撃を受けました。
「人生は、途中ではわからない」──この本は、そんな言葉が胸に浮かぶ一冊です。
第1章:戦争と孤独が、やなせたかしをつくった
やなせたかしさんは、幼くして父を亡くし、5歳のときに母とも別れて、医師であった叔父の家に引き取られることとなります。子供のなかった叔父夫婦には大変可愛がられ、東京芸術大学まで進学する支援は受けていたものの、養子である自分の立場に疎外感を抱いたようです。
外見にもコンプレックスを抱え、居場所を見つけられないまま、鬱屈とした青春時代を過ごしていく姿が、本書では静かに描かれています。
東京田辺製薬に入社後、クリエイターとしてのスタートを切った作者に召集令状が届き、やなせさんは暗号班として中国に従軍します。銃を握ることはなかったとはいえ、空腹や死の恐怖に日々さらされる過酷な体験だったそうです。
そうした背景や経験は、やなせさんの後の創作活動、とりわけ”ヒーロー・アンパンマン”誕生へとつながったであろうことが読み取れます。
第2章:三越デザイナーから“何でも屋”へ
終戦後、やなせたかしさんは上京して三越百貨店の宣伝部に就職します。
ここで彼は、包装紙、広告、ショーウィンドウのデザイン、さらには舞台美術や演出まで、
さまざまなクリエイティブ業務を担当するようになります。
特に印象的なのは、三越の包装紙「華ひらく」のローマ字レタリング「MITSUKOSHI」を担当したというくだり。
美術大学出身でありながら、当時のデザイン界で目立った業績を上げるには限界もあった中、やなせさんは頼まれた仕事を次々と引き受け、「何でもできる人」として社内外から重宝される存在になっていきます。
しかし本書を読んでいると、その裏で彼が抱えていた「本当にやりたいことができていない」という
静かな葛藤が伝わってきます。
やなせさんの夢は、あくまで“漫画家になること”。
三越という安定した職場で順調にキャリアを積んでいきながらも、「このままでいいのか」という問いが心の中にくすぶり続けていたようです。
本書では、同僚や仕事先との関係、演出家として舞台に関わったエピソードも紹介されていますが、どれも“なんでも引き受けることで評価される”というスタンスの延長にあり、自分の表現を自由に追求する時間はなかなか得られなかったことが、静かに語られています。
“器用貧乏”という言葉では片づけられない、頼まれると断れないという、やなせたかしさん自身の性分。
結果として次々に仕事が舞い込み、「何でもできる人」として評価されていく一方で、本当にやりたい漫画を描く時間は、後回しにされていきました。
第3章:「頼まれたら断れない性格」が道を広げた
34歳で三越を退社後、やなせたかしさんは本格的にフリーランスとしての道を歩み始めます。
とはいえそれは、「夢の実現に向けた独立」ではなく、職場での労働争議に疲れ果てた末の退職でした。本書ではその様子が淡々と語られていますが、長く安定した組織に勤めていた一人のサラリーマンが、環境に絶望して外の世界へ出ていく―その現実の重みが静かに伝わってきます。
退職後は漫画家に専念するのかと思いきや、舞台美術、ディナーショーの演出、イラスト、さらには作詞まで、多岐にわたる依頼が次々に舞い込むようになります。
その理由はひとえに、やなせさんの「頼まれたら断れない性格」にありました。自分が本当にやりたいことが何であっても、目の前の頼みごとを断れずに引き受けてしまう。結果として、あらゆる分野の仕事をこなし、「何でもできる人」としてますます人に頼られるようになっていきます。
そして、この無名のフリーランス漫画家に、スター女優・宮城まり子さんからリサイタルの構成を依頼されたり、演出家・永六輔さんからミュージカルの舞台装置を任されたりするという、一見不可解な注文がありました。未経験であることは分かっていながらも、「やなせたかしさんにぜひこの仕事を託したい」と思わせる何かがあったのではないか、とご自身が振り返っています。
「断れなかったことが、結果的には自分の幅を広げてくれた」と語るくだりには、“なんでもやる”のではなく、“やってきたことがつながっていた”という静かな手応えがにじんでいます。
また本書では、当時作詞した『手のひらを太陽に』についての言及もあります。
子どもたちが元気に歌うこの曲も、やなせさんにとっては、戦争や飢え、また戦後の日本においても生きる苦しさを経験したからこそ書けた“命の賛歌”だったのかもしれません。
漫画以外の表現活動に追われていた時期ではありますが、この時期に培われた多様なスキルと人脈、そして作品に込めた思いは、その後の“アンパンマン”という作品誕生に集約されていくための、確かな土台になっていたように感じました。
第4章:54歳で生まれたアンパンマン──最初は“怖がられたヒーロー”
1973年、やなせたかしさんは54歳にして、ようやく一冊の絵本を出版します。
それが、後に日本中で知られることになる『あんぱんまん』(フレーベル館刊)でした。
この時点では、まだ「アンパンマン」ではなく、ひらがなの『あんぱんまん』。
しかも現在のような可愛らしい姿ではなく、顔がまんまるではない上に、全体的に地味で落ち着いた絵柄。
しかも、顔の一部をちぎって空腹の人に与えるという設定に、当初は「怖い」「気持ち悪い」といった反応も多かったそうです。
それでも、やなせさんはこのキャラクターに強い愛着を持っていました。
食べ物に困っている人に、自分の顔をちぎって届けに行く――
それは、戦争中に感じた「本当にありがたかったのは、何よりも食べ物だった」という原体験から生まれた発想でした。
本書の中でも、アンパンマンという存在が、派手で強いヒーローではなく、“お腹を空かして泣いている子供のところに駆けつける”ようなヒーローとして描かれている理由が、静かに語られています。
ただし、この初期の『あんぱんまん』がすぐに世間に受け入れられたわけではありません。担当編集者や絵本評論家からも「もう、こんな絵本はこれっきりに…」とか「こんなくだらない絵本は図書館に置くべきではない」と大人からの評価は散々だったようで、やなせさんは不評だった「あんぱんまん」の封印を決意します。
今でこそ国民的キャラクターとなったアンパンマンですが、その誕生は決して順風満帆ではなく、静かで、小さな一歩から始まっていたのです。
第5章:70歳目前、ようやく社会に届いた“やなせたかしの正義”
絵本『あんぱんまん』の出版から15年が経った1988年。大人たちが「これのどこが面白いのか?」と首をひねっている間に「アンパンマン」とその仲間たちは子供たちの間で愛されるキャラクターとなっていたのです。
やなせたかしさんが69歳のときに、ついにテレビアニメ『それいけ!アンパンマン』の放送が始まります。放送局は日本テレビ、放送時間帯は月曜日の夕方5時から、当初は長く続くとは思われていなかった番組でした。
ところが、子どもたちはすぐに反応を見せました。
空を飛んでやって来て、困っている人に顔をちぎって与える優しいヒーロー。
正義の味方なのに敵を激しく倒すのではなく、誰かを助けるために自分を削ってまで尽くすその姿が、幼い視聴者の心を掴んで離しませんでした。何をやっても視聴率2%という時間帯で、いきなり7%の視聴率をたたき出し、周囲をあっと言わせたのです。
やなせさんが描き続けてきた“正義”は、ここで初めて広く社会に届いたのです。 それは「力の強さ」ではなく、「弱き者を助けること」── 戦争を経験し、「正義とは何か」と悩み抜いた末にたどり着いた、やなせたかしさん自身の人生哲学でした。
番組はやがて国民的アニメとなり、やなせさんは“アンパンマンの作者”として一躍有名になります。 しかし、その名声を得たのは、70歳を目前にしてからでした。 普通なら“引退”を考える年齢にして、彼はようやく「本当にやりたかったこと」で人生の頂点を迎えたのです。
驚くべきことに、そこからもやなせさんは手を緩めませんでした。 80代、90代になっても命の限りアンパンマンと向き合い続けたのです。
「70歳目前になって、ようやく巡り合えたヒーローと、最後まで一緒にいたいんだ!」
そんなワクワク感と共に、やなせたかしさんは人生の最後の時までアンパンマンと全力で駆け抜けたのです。
まとめ|人生は、途中ではわからない
絵本『あんぱんまん』が誕生したのは、やなせたかしさんが54歳のときでした。 そして、アニメ化され、社会的な評価を受けたのは69歳のときです。 普通なら「そろそろ引退」と考える年齢ですが、やなせさんの“本当の人生”はそこから始まっていたのです。
この本を読みながら、「一度きりの人生、好きなことして生きれば良いのに」と考える私は彼の生き方に全く共感は出来ませんが、やなせたかしさんの才能と生きざまは凄いな、と思わされました。
戦争を経験し、孤独や不遇の時代を乗り越え、それでもずっと“描きたいもの”を心に持ち続けていた人。 そして、年齢に関係なく、「自分が本当にやりたいことは他にあるのに…」と思いながらも、舞い込む仕事には真摯に向き合い、多くの人から頼りにされたフリーランスの漫画家、やなせたかしさん。
タイトルは「アンパンマン誕生」までの物語ですが、読み終えてみると、やなせさんという人物の「生き様の物語」として、深く心に響きました。
人生は、途中ではわかりません。
しかし、何があっても生きてさえいれば、いつか「描きたかったもの」に出会えるかもしれない。 そう思わせてくれる一冊でした。
諦めない限り、ゲームセットは来ない。
バスケット漫画の名言のようですが、私もそう信じて、自分の人生をまた一歩前に進めていきたいと思います。

最後までご覧頂き有難うございました
朝ドラでも話題の「アンパンマン」です。
是非皆さんも読んでみてくださいね!




また読みに来てくださいね
お待ちしてますよ~!
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